人は理由、目的、感情など様々な動機で行動しています。

 創世記の第四章、嫉妬によりカインが弟アベルを殺してしまいました。
 これについては、神様にも罪はあるかと思います。毎日、汗を流して作物を育てたお供え物を顧みず弟アベルの羊のお供え物のみ顧みられました。神様が心から両方を顧みられたら良かったのです。カインは罪を犯さずに済んだはずです。また、妬みでアベルは死なずに済みました。

 カインがアベルを殺してしまった後、神様の裁き方は寛容でした。
 神様はカインにアベルの居場所を尋ねます。カインが「知りません、私は弟の番人でしょうか。」と答えます。
 神様がカインをさらに問い詰め、裁きます。
「あなたは何をしたのです。アベルの血の声が土の中から私に叫んでいます。あなたは呪われてこの土地を離れなければなりません。あなたが土地を耕しても、土地はあなたの為にもはや実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう。」
 神様はその土地から追放するのみで、カインを殺そうとはしません。毎日、土地を耕し、肥沃な土地になっているはずです。その土地から離れることはカインにとって最大の罰でしょう。

 カインは後悔し、神様に正直に接します。
「私の罪は重くて負いきれません。あなたは、私を追放されました。私はあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。私を見つける人は誰でも私を殺すでしょう。」
「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう。」
 神様はカインに告げた後、カインが殺されないように一つのしるしを彼につけられます。
 カインは主の前を去り、エデンの東、ノドの地に住みました。
 
 カインは自分が殺されても当然だと嘆いています。「一つのしるし」とは、カインが殺されないように守るため、神様が授けた力のようなものだと思います。
 神様がカインを殺さなかったのは、カインが死んだところで、アベルが生きかえりません。カインは反省しており、無駄な犠牲をだしたくなかったのでしょう。

 これは聖書の通り、本物の神様は心から反省していれば、許して貰えるかと思います。心から反省していれば、行動や言動に表れます。

 エデンの東、興味深いです。私は楽園の外にある東のことと思います。エデンの園からみると東にある地だと思っています。

 さて、ここで一つの疑問があります。
 創世記、第四章に母親エバと父親が登場しておりません。重大事にも関わらず、登場しません。両親の心情や行動はあえて触れないでいたのでしょうか。
 今回は神様が事件を片付けた有様です。両親について述べることは避けているように思います。この部分を書いた人は神様に気を取られ過ぎてしまい、両親のことは気にも留めなかったのかもしれません。「神様が言うことは絶対だ。」という感覚で、神様に全てを任せたようにも感じます。
 
 私は創世記が物語と思っていますが、教会は「神様に全てをゆだねなさい。」と説明しそうです。「聖書に登場する神様に逆らうことはできない。」という解釈をキリスト教圏はしていたに違いありません。これを利用して免罪符を発行した聖職者たちの横暴さが目に浮かびます。金を巻き上げる聖職者たちこそ、大罪人です。神様は、お金も物も必要ありません。