神様の言いつけを破った罰として、人間は罪な生き物となったようですが、これはまるで脅しの教育に感じました。体罰はありませんが、精神的な面で良くはありません。確かに人間は、完璧な人は一人もおりません。しかし、産まれた時から罪があるという教えは間違っていると思います。子供にこのようなことを教え込むべきではありません。
赤ちゃんに全員、罪はありません。癒しの顔で両親にとっては天使のような存在のはずです。特に母親は約一年、お腹に子供が宿り、激痛の中で産みます。母親は産まれた後も体調は優れておりませんが、赤ちゃんに癒されて頑張ることができます。
創世記、第三章の十四節、ヘビが二人に実を食べるよう、そそのかしたので、一生、地を腹で這う。十五節、彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くと書かれています。この二節は神様が言った言葉です。
将来、イエス様が十字架に架けられることを意味しているそうです。イエス様が死ぬことによって、人間が犯した罪を贖いました。私はこの解釈に頭をひねっています。イエス様は生贄になったということです。悪いのはヘビであって、イエス様が悪いわけではない。何故、イエス様が償わなければならないのでしょうか。
イエス様が神の子で人間が犯した償いの為に産まれてきたと言われています。イエス様の処刑はローマに弾圧されただけだと思います。
十六節、神様が女性にこう告げます。子供を苦しんで産み、夫を慕う。夫は妻を治める。
十七節から十九節、神様が男性にこう告げます。地はあなたによって呪われた。そのおかげで、一生苦労して地から食物をとる。地は男性の為に、いばらとあざみを生じ、あなたは野の草を食べる。苦労してパンを食べ、最後は土から造られた為、土に帰る。
二人が善悪を知る木を食べなければ、このようにはならなかったはずだと神様は怒っているようです。しかし、食べてはいけない木をわざわざ置きますか。人間を試すにしても自分で造ったのですから、こうなることぐらいは予想できていたはずです。
ヘビ(悪魔)が悪いだけではありません。ヘビが善悪を知る木を二人に食べるようにすすめなくても、他の獣たちが人間に実をとってくるかもしれません。
ヘビは神様がわざとエデンの園に置いたのかもしれません。ならば聖書に出てくる神様、この悪魔と同罪です。
「女性が夫を慕い、夫は妻を治める。」この部分、良い方向に向かうと問題はないと思います。悪い方向へ向かうと最悪な関係です。楽園には二人しかいないから言えた言葉です。
「女性が夫を慕う。」男性は戦に出ることができる体質です。女性は月経もあり、身ごもります。子供を守るための生きる力と出産する体力はありますが、腕力などはなく、戦いの力は男性よりもはるかに劣っています。妻を守る夫に感謝をしましょう、という意味で述べたと思います。しかし、夫は妻が意見を言うのが気にくわない。妻の望みをきかないとなれば、良い関係とはいえません。これは基本的な立場が同等であってこそ、成り立つ関係です。
「夫は妻を治める。」先程、述べたように男性の体つきは女性よりも大きく、女性を守るような造りにはなっています。そう言った意味では治めるが相応しいでしょう。しかし、妻をいじめてはいけません。言うことを聞かす為に怒鳴り、殴ってはいけません。
二つ組み合わせて考えてみれば、夫婦はお互い同じ位置で謙虚かつ冷静に話し合えてこそ成り立つ関係です。片方の愛が冷めていれば、面白くありません。子供にとっても可哀相です。場合によっては、人生の無駄になってしまう気がします。
もう一つ、戦は男性の役目とは思っておりません。男性でも、戦争へ行けば、亡くなってしまいます。ですから、絶対に戦争があってはならない。これも夫婦と同じことが言えます。夫婦だけではなく、職場、学校など、あらゆる場面で人間関係にいえることだと思います。理想ですが、暴力や脅迫で威圧的に訴えるのではなく、同じ位置から対等に接することが出来れば平和になります。そうはなかなかいきません。一人が快く接したとしても相手に思惑があれば、快い方が攻められてしまう為、必然的に防衛力を高める軍事力が必要になります。つまり、国の支配者が平和主義になってくれると世界もがらりと変わると思います。早く、世界が平和になることを祈るばかりです。
赤ちゃんに全員、罪はありません。癒しの顔で両親にとっては天使のような存在のはずです。特に母親は約一年、お腹に子供が宿り、激痛の中で産みます。母親は産まれた後も体調は優れておりませんが、赤ちゃんに癒されて頑張ることができます。
創世記、第三章の十四節、ヘビが二人に実を食べるよう、そそのかしたので、一生、地を腹で這う。十五節、彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くと書かれています。この二節は神様が言った言葉です。
将来、イエス様が十字架に架けられることを意味しているそうです。イエス様が死ぬことによって、人間が犯した罪を贖いました。私はこの解釈に頭をひねっています。イエス様は生贄になったということです。悪いのはヘビであって、イエス様が悪いわけではない。何故、イエス様が償わなければならないのでしょうか。
イエス様が神の子で人間が犯した償いの為に産まれてきたと言われています。イエス様の処刑はローマに弾圧されただけだと思います。
十六節、神様が女性にこう告げます。子供を苦しんで産み、夫を慕う。夫は妻を治める。
十七節から十九節、神様が男性にこう告げます。地はあなたによって呪われた。そのおかげで、一生苦労して地から食物をとる。地は男性の為に、いばらとあざみを生じ、あなたは野の草を食べる。苦労してパンを食べ、最後は土から造られた為、土に帰る。
二人が善悪を知る木を食べなければ、このようにはならなかったはずだと神様は怒っているようです。しかし、食べてはいけない木をわざわざ置きますか。人間を試すにしても自分で造ったのですから、こうなることぐらいは予想できていたはずです。
ヘビ(悪魔)が悪いだけではありません。ヘビが善悪を知る木を二人に食べるようにすすめなくても、他の獣たちが人間に実をとってくるかもしれません。
ヘビは神様がわざとエデンの園に置いたのかもしれません。ならば聖書に出てくる神様、この悪魔と同罪です。
「女性が夫を慕い、夫は妻を治める。」この部分、良い方向に向かうと問題はないと思います。悪い方向へ向かうと最悪な関係です。楽園には二人しかいないから言えた言葉です。
「女性が夫を慕う。」男性は戦に出ることができる体質です。女性は月経もあり、身ごもります。子供を守るための生きる力と出産する体力はありますが、腕力などはなく、戦いの力は男性よりもはるかに劣っています。妻を守る夫に感謝をしましょう、という意味で述べたと思います。しかし、夫は妻が意見を言うのが気にくわない。妻の望みをきかないとなれば、良い関係とはいえません。これは基本的な立場が同等であってこそ、成り立つ関係です。
「夫は妻を治める。」先程、述べたように男性の体つきは女性よりも大きく、女性を守るような造りにはなっています。そう言った意味では治めるが相応しいでしょう。しかし、妻をいじめてはいけません。言うことを聞かす為に怒鳴り、殴ってはいけません。
二つ組み合わせて考えてみれば、夫婦はお互い同じ位置で謙虚かつ冷静に話し合えてこそ成り立つ関係です。片方の愛が冷めていれば、面白くありません。子供にとっても可哀相です。場合によっては、人生の無駄になってしまう気がします。
もう一つ、戦は男性の役目とは思っておりません。男性でも、戦争へ行けば、亡くなってしまいます。ですから、絶対に戦争があってはならない。これも夫婦と同じことが言えます。夫婦だけではなく、職場、学校など、あらゆる場面で人間関係にいえることだと思います。理想ですが、暴力や脅迫で威圧的に訴えるのではなく、同じ位置から対等に接することが出来れば平和になります。そうはなかなかいきません。一人が快く接したとしても相手に思惑があれば、快い方が攻められてしまう為、必然的に防衛力を高める軍事力が必要になります。つまり、国の支配者が平和主義になってくれると世界もがらりと変わると思います。早く、世界が平和になることを祈るばかりです。