肉体は魂が入る器であり、語弊はありますが魂の思いを肉体が変換しています。感情、考え方、放つ言葉、これもすべて魂からくる言動です。肉体が魂に与えるのではなく、魂が肉体に指令を送っているようなものです。
 魂というものは肉眼では見えませんが、しっかりと存在しています。心臓ができたころに魂が心臓と結びつき、この世に誕生します。途中で魂が肉体から離れてしまえば流産です。
 人が死を恐れるのは、魂がここで成長を妨げたくないと本能的に思うのです。しかし、その魂は前世や死後の世界の様子を覚えていないのがほとんどであり、死んだら自分が消えてなくなる恐怖もあるでしょう。または、苦痛にたえたくないや、現世でやりたいことがたくさんある、つまり未練などもあり、無になることを恐れているのです。
  人が死にたいと思うのは、希望がなくなったとき、希望が見えないときです。または、魂が本能的にこの器にいても、自分は何もならないと強い絶望感を抱いているときです。しかし、死ぬにも勇気があり、自殺するか否か迷います。
 この世の魂は生きるのも恐怖であり、死ぬのも恐怖であります。死のうと思って自殺する人は、魂からくる強い意志の場合もあります。決して自殺をほめているのではありません。そこまでの強い思いが今まで募ってきたということです。たった一つや二つの出来事で、魂が絶望を感じるほど弱くありません。死ぬとの意思が強い方は、絶望感を今まで感じ続けてきたのです。
 自殺者を本当に救いたいと思っても、相当の動力と覚悟がなければ難しい話です。中途半端に救われても嬉しくない場合もあります。自分から絶望を脱出する努力は大切ですが、相手が無責任に上辺の言葉をかけたりするのは非常につらいのです。何もわからないのに、見知らぬ人が自分の感覚で助言されても苦しいだけです。
 いくら通りすがりの者が自殺を止めたとしても、止めた後が大事なのです。止められても、魂が絶望から抜け出さない限り、一時的な死を免れただけです。自殺をほう助していませんが、現実はこの状態が多くあります。
 そして、彼らは見せかけの言葉や、小時間のカウンセリングなどで救い難いです。心から救いたくとも、並大抵のことではありません。考え方による絶望感であれば、助言次第で解決することもあるでしょう。考え方が悪くて心が重くなる話もあることは多々あります。しかし、なかなか聞こうとしない方もいるでしょう。その彼らには心に余裕がなく、聞く余裕もない場合もあります。その場合、何度も同じことを伝えれば通じるかもしれません。
 純粋な魂ほど、ひどい目にあうかたが多くいます。成長していない魂は人を根本的に傷つけます。しかし、自然の摂理から見れば、純粋な魂の方が成長しているのです。
 
 死後の世界へいくには背中にある霊的な羽根が必要です。羽根がなければあの世で輪廻します。羽があれば守護神様、守護天使様、神様の世界と羽があればあるほど上の世界へと行けます。
 羽は行いと満足が必要です。片方だけではいけません。この世での満足とは、財力や地位などは関係ありません。ささやかな満足で伸びる人もいます。魂が満足するのは人それぞれで条件が違います。
 自殺する魂も、両方がそろっていれば、輪廻しない世界にいける場合もあります。極端な話になりますが、戦争などで助からないとなり、敵に捕まるぐらいならば自身の尊厳を守るために死ぬ方もいるでしょう。この場合、羽があれば輪廻しない世界にいけます。

 暗い話になりましたが、神様からの視点でのお話でした。なお、この記事は強調しますが、決して自殺をすすめる記事ではありません。例に挙げてお話をしました。





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